撮影者の人格

昔から、写真と撮影者の人格は必ずしも一致するわけではないですよと言ってきました。そうでも言わなければ照れくさくて写真なんて撮れないし、思いも寄らない瞬間を自分の実力以上の運で撮ることも多々あるからです。

ただし、長年同じ焦点距離のレンズを使っていても撮れる写真は日々変化します。経験が豊かになれば撮影の幅は広がり、質は高まり続ける。あるいは、使うカメラが変わったとしても同じ写真が撮れるようになってきます。最近では歳を重ねるごとに広がる価値観や変えようのない性分が多少なりとも写真に表れているような気もします。前よりも被写体の周りがよく見えていたり、光の微妙な強弱に気づいている。それ以上に、撮影者たる私の感情の起伏が被写体に映り込みやすくなってきたのでしょう。それこそ写真を撮る行為が人の心に寄り添っていることの表れとも言えます。感情の元となる我が燃え盛る激しさを持っているか、または無風時の湖面のような静寂を伴っているか。どちらにしても、それらは写真に大きな変化をもたらします。

中途半端な我を捨てることができず、他者の評価が写真に影響するうちはまだまだ思い悩めということかも知れません。写真は、被写体あってこその世界であり、撮影は被写体に反応する心が大切。それを忘れないようにするには、謙虚な立ち位置と無我夢中になれる純粋さが必要不可欠なのです。


72回の閲覧
  • Facebook
  • Instagram

写真家 | 柏倉陽介公式サイト

© 2023 by Yosuke Kashiwakura